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地球沸騰化時代の労働安全衛生対策:職場の熱中症はなぜ減らないのか〜安全配慮義務の拡大と、現場を動かす「科学的アプローチ」〜

地球沸騰化時代の労働安全衛生対策:職場の熱中症はなぜ減らないのか〜安全配慮義務の拡大と、現場を動かす「科学的アプローチ」〜

1.はじめに

毎年、夏が近づくと、どの職場でも「こまめな水分補給」や「適切な休憩」といった呼びかけが行われ、休憩所には塩飴やウォーターサーバーが設置される。しかし、こうした対策が定着しつつあるにもかかわらず、職場における熱中症の被災者は高止まりしている。厚生労働省が公表した最新の令和7年(2025年)の確定値によると、職場における熱中症による死亡者数は19人と前年比で12人(約39%)減少し、初期対応や救護体制の整備による重篤化防止は一定の進展を見せている。しかしその一方で、休業4日以上の死傷者数は1,803人に達し、前年比で546人(約43%)も急増して統計開始以来最多を記録している。2025年の死亡者数は前年より少ないものの、現場における熱中症被災そのものはむしろ急増し、深刻化しているという厳しい現実がある。[1]


「対策をしているはずなのに、なぜ防げないのか」——この逆説の背景には、気候変動による熱ストレスの激甚化に加え、従来の安全管理が「現場労働者の主観」や「一律のルール管理」に依存しすぎているという構造的な課題が存在している。本コラムでは、激変する法規制と労働環境を踏まえ、熱中症を「一時的な体調不良」ではなく「重大な経営リスク」として捉え直し、科学的かつ組織的に予防するためのアプローチについて考察したい。

図1 本コラムの概要(筆者作成)

2.安全配慮義務の「境界」の拡大:法改正が求める現場の責任

まず押さえるべきは、企業に課される法的責任の重大化である。
令和7年6月に施行された改正労働安全衛生規則により、暑さ指数(WBGT)28度以上または気温31度以上の暑熱な作業場等での作業において、熱中症の「報告体制の整備(自覚症状の早期報告と発見時の対応フロー等)」「実施手順の作成」「関係者への周知」が事業者に義務付けられた。[2]

さらに、労働安全衛生法等の一部を改正する法律等により、令和8年(2026年)4月から段階的に、労働者と同じ場所で働く「個人事業者」や「一人親方」等に対する安全措置義務の適用範囲も拡大している。[3]

これにより、企業が負う「安全配慮義務(労働契約法第5条)」の境界は、自社の直接雇用者だけでなく、サプライチェーン(構内請負業者や協力会社)にまで拡張的に適用され得ることとなった。直接の雇用関係がない元請(特定元方事業者)であっても、判例の蓄積により、実質的な指揮監督関係(特別な社会的接触の関係)が認められる場合には下請労働者に対しても安全配慮義務が及ぶことが示されている。
実際、建設現場などの混在作業現場において、元請は労働安全衛生法に基づき、下請作業員を含めた現場全体の安全衛生を統括管理する義務を負っている。そのため、現場全体の熱中症対策(WBGT値の測定や休憩所の整備など)を怠った結果、下請作業員が被災した場合においても、元請企業が下請労働者に対し安全配慮義務を負うことを示した最高裁平成3年4月11日判決(三菱重工業神戸造船所事件)を起点とする判例法理に従い、雇用関係の有無にかかわらず、元請の安全配慮義務違反による損害賠償責任が厳しく問われ得る。[4]

また、出張先や訪問先といったオフィス外での業務における熱中症についても、企業が温熱環境を直接管理することは困難であるものの、適切な労働時間・スケジュールの管理や水分補給の徹底といった配慮を怠れば、安全配慮義務違反を問われる余地があり、管理すべき境界線は自社の物理的な敷地の外にまで広がっている。

3.人と組織の「心理バイアス」と脳の「キャパシティーオーバー」

なぜ現場でルールが機能しないのか。筆者は、その核心には「人と組織の心理的特性」が大きな影響を及ぼしていると考える。
第一に考えられるのは、労働者が不調を隠してしまう「心理的対人リスク」の存在である。特に下請構造の現場や、責任感の強い高齢労働者ほど、「工期を遅らせてはならない」「同僚に気兼ねする」といった主観などから生じる不安により、無理をして作業を継続しがちである。高齢労働者は加齢によって体温調節機能が低下しているだけでなく、脳の渇きセンサーが鈍化して「自覚のない脱水」に陥りやすい生理的特性も持つ。[5][6]


こういった現場で「休め」「飲め」と指示するだけでは、人間の「正常性バイアス(自分は大丈夫と思い込む)」や「現在性バイアス(目先の作業を優先する)」に阻まれる。第1節で見た判例法理が示すとおり、元請は下請労働者の作業環境に対しても実質的な管理責任を負うと判断される場合がある。だからこそ、ISO 45001をはじめとする労働安全衛生マネジメントシステム(OSHMS)の枠組みが重視するように、労働者が危険な状態や不調を報告した際に不利益な扱いを受けない仕組みを確立し、下請労働者であっても些細な不調を安心して自己申告できる「心理的安全性」を、現場全体のインフラとして構築しなければならない。[7]


さらに、暑さそのものが脳に与える影響も見逃せない。高温下では体温調節に脳のリソースが奪われ、前頭前野の機能(注意・記憶・判断)が低下する。これによりヒューマンエラー(判断ミスや不安全行動)が誘発され、また感情のコントロールが効かなくなることでハラスメントや職場の摩擦が生じることも懸念される。現場のイライラやミスは、本人の資質や注意不足ではなく、脳が「キャパシティーオーバー」している生理的なサインとして捉えることが重要である。

4.生理的データと「アラート」による先回り予防

主観や精神論の限界を突破するのが、科学的なアプローチとテクノロジーの活用である。

熱中症は日中の暑さだけで決まるわけではない。熱帯夜によって睡眠不足に陥ると、自律神経が乱れる。これにより翌日の発汗量(放熱能力)が低下し、体内に熱がこもりやすくなることが研究で示されている。すでに業務開始の時点で、熱中症を発症しやすい状態に陥っている可能性がある。[8]


実際、直接雇用の従業員が熱中症で死亡した事案(新星興業事件・福岡高裁令和7年2月18日判決、最高裁で確定)においても、会社側が水分や休憩などの一般的な対策を講じていたとしても、「暑さ指数(WBGT)の客観的測定」「暑熱順化期間の確保」「個々の労働者の食事・睡眠状況の確認、巡視による体調把握」を怠り、体調不良の兆候を見過ごして作業を継続させたことが、安全配慮義務違反(損害賠償の対象)と認定されている。このような判例の教訓からも、客観的測定と先回り介入の仕組みが不可欠と言える。

そこで極めて有効なのが、ウェアラブルデバイスの「リアルタイムアラート機能」の導入である。例えば、SOMPOリスクマネジメントが提供する「みまもりふくろう」などのリストバンド型デバイスは、作業者の心拍数などのバイタルデータを常時監視する。このシステムの最大の強みは、単なるデータ管理にとどまらず、危険な予兆を検知した際の「リアルタイムアラート」にある。着用者本人と管理者の双方に即座に警告が届くため、管理者は本人が「大丈夫」と我慢していても、客観的データに基づいて先回りして休憩や作業中断を指示(介入)することができる。単独作業の多い現場や、表情が見えにくい保護具着用現場において、この先回り介入の仕組みは、初期対応の放置を防ぐ決定的な盾となる。[9]


また、作業を開始する前に深部体温を下げておく「プレクーリング(事前冷却)」も注目される。手のひらにあるAVA血管(動静脈吻合:動脈と静脈を結ぶバイパスのような太い血管で、体温調節のラジエーターの役割を果たす)を冷水(10〜15℃)で冷やす、あるいはシャーベット状の「アイススラリー」を摂取して内臓から直接冷やす手法は、深部体温の上昇を遅らせる科学的な防壁となる。


さらに、長期休暇(お盆休み等)明けや急に暑くなった日には、人間の体が暑さに慣れる「暑熱順化(通常7〜14日かかり、中断後4日程度で顕著に喪失が始まるとされる)」のスケジュールを計画的に労務管理に組み込み、最初の数日間は作業強度を一時的に引き下げるなどの措置を取ることが重要である。

5.実務Q&A:現場の安全管理を機能させるために

筆者がこれまでコンサルティングの現場で相談を受けた中で、特に印象深かった質問とその回答の一部を参考として紹介する。

Q1:改正安衛則で義務化された「報告体制」を形骸化させないポイントは?

A1:

報告を受けた管理者側が「報告してくれて助かった、重大災害を防げた」とポジティブなフィードバックを返すことである。報告で「作業の手を止めてはいけない」という心理的障壁を排除し、不調を隠さず言える関係性(心理的安全性)を担保することが制度を機能させる大前提となる。本人が自覚症状を認識できない場合を想定し、周囲の「声かけ」手順をマニュアル化しておくことも必須である。

Q2:フルハーネスや防塵マスク等の保護具(PPE)着用時の熱中症対策は?

A2.:

保護具の着用は通気性を奪い、衣服内を高温多湿の密閉空間にする。ここでは、測定したWBGT値に衣服別の「着衣補正値」(例:不浸透性防護服は+3℃〜+11℃など)を加算して厳格に管理する。また、フルハーネス対応空調服の選定や、顔を覆うような防塵マスク等を装着する場合には表情が見えにくくなることを考慮した握力チェック等による相互観察を強化することも一案かと考える。[10]

6.おわりに~安全衛生を経営投資へ~

鉱山や採石現場などの過酷な暑熱環境での実務や、保安行政の施策検討に携わってきた筆者の経験から見て、熱ストレス下における現場の安全は、個人の注意喚起や精神論的なルールだけでは決して守りきれないと考える。物理現象として冷酷に進行する熱中症や設備の異常昇温から人と組織を守るには、現場個々の判断に委ねるのではなく、「プロセスやシステムによる安全設計」を組織的に構築することが不可欠である。

熱中症対策を、単なる夏期の「一時的なコスト」として片付けてはならない。コーポレートガバナンスの一環として、また従業員の健康を守る「人的資本経営」の根幹として、経営トップが自らシステム投資とプロセス設計を主導することが、これからの「地球沸騰化」時代を生き抜く企業の必須条件と言えるであろう。

参考文献

[1] 令和7年「職場における熱中症による死傷災害の発生状況」(確定値)(厚生労働省):
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_73330.html(アクセス日:2026.6.25)

[2] 職場における熱中症対策の強化について(令和7年6月1日施行)(厚生労働省):
https://jsite.mhlw.go.jp/toyama-roudoukyoku/news_topics/oshirase/0706nechushokyoka.html(アクセス日:2026.6.25)

[3] 個人事業者等の安全衛生対策(厚生労働省):
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/anzen/anzeneisei03_00004.html
(アクセス日:2026.6.25)

[4] 労働災害の発生と企業の責任について(厚生労働省):
https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei14/dl/081001-1b_0006.pdf(アクセス日:2026.6.25)

[5]高齢者の脱水症(健康長寿ネット・長寿科学振興財団):
https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/rounensei/dassui.html(アクセス日:2026.6.25)

[6] 高年齢者の労働災害防止のための指針(厚生労働省):
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/anzen/newpage_00007.html
(アクセス日:2026.6.25)

[7] 労働安全衛生マネジメントシステム ISO 45001を読む(日本品質保証機構):
https://www.jqa.jp/service_list/management/iso_info/iso_network/vol29/pdf/isonetwork29_04special01_2.pdf
(アクセス日:2026.6.25))

[8] 睡眠不足が高温環境時の体温調節能に及ぼす影響(安岡絢子・都築和代/人間-生活環境系シンポジウム):
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhesp/41/0/41_35/_article/-char/ja/(アクセス日:2026.6.25)

[9] みまもりふくろう(SOMPOリスクマネジメント):
https://www.sompo-rc.co.jp/services/view/184(アクセス日:2026.6.25)

[10] 防護服着用作業における暑熱負担等の軽減策に関する研究(労働安全衛生総合研究所):
https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/doc/srr/SRR-No49-2-0.pdf(アクセス日:2026.6.25)

太田 真治

カジュアルティコンサルティング部 賠償・労災グループ

賠償・労災グループリーダー

カジュアルティコンサルティング部 賠償・労災グループ

技術士(総合技術監理 資源工学) / 労働安全コンサルタント(土木) / 危険物取扱者 甲種

略歴・実績

大学院工学研究科 資源開発工学専攻修了後、鉱業・採石業に従事し、2009 年に入社。
国内外の「製造業」「運送業」「鉱業」等に関わる多くの企業、団体、官公庁等に対し、労働災害防止に関するコンサルティングを実施。 労働安全衛生分野の他、PL・リコール分野を含めたコンサルティング領域を統括。
■担当プロジェクト: 以下プロジェクトでは通年かつ複数年でメイン担当・プロジェクトマネージャーとして従事
・経済産業省:石油・ガス供給等に係る保安対策調査等事業(マネジメントシステムの構築・有効化に係る調査・制度設計、関係法令の改正・執行に関連する調査、災害防止計画策定支援など)
・環境安全事業会社:PCB 処理事業トラブル等検証支援業務(トラブル等のリスク評価、安全管理体制の検証、現地調査など)
・シルバー人材センター:安全就業に関する調査事業(事故分析、現地調査、ガイドブック作成など)  など
■講演等:
企業、団体、官公庁の経営層、管理者、担当者等に対して安全管理や安全対策等に関する講演を実施

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