ゼロリスクへの切望と現実 ~市民・地域住民と信頼関係を築くためのリスクコミュニケーションの取組みとは~

2025年10月15日

GRCコンサルティング部
危機管理・コンプライアンスグループ

主任コンサルタント

天野 彩

ゼロリスクへの切望と現実 ~市民・地域住民と信頼関係を築くためのリスクコミュニケーションの取組みとは~

「あらゆるリスクのない、安心で安全な生活を送りたい」。

様々な選択肢に恵まれた現代社会に生きる私たちが、そのように願うのはごく自然なことだ。
 

ただ実際は、自然災害、環境汚染、製品の安全性、情報漏洩など、私たちや私たちが所属する組織は日々様々なリスクにさらされている。起こりうるリスクに対しては、専門的な知見に基づいて予測し、平時の未然防止または有事の危機対応等によって対処するほかない。

 

本コラムでは、「ゼロリスク」への期待と不安に誠実に向き合うことで、市民・地域住民との信頼関係を醸成し、現実的な落としどころを見つけるためのリスクコミュニケーションのあり方を考える。

リスクコミュニケーション:特定分野のリスクについて、行政、企業、地域住民、専門家などの関係者(ステークホルダー)の間で情報や意見を共有し、相互理解を図ること。

1.リスクコミュニケーションの難しさ: ゼロリスクへの期待と、確率論で対処するほかない現実

2011年の東日本大震災後の原子力発電所事故は、多くの人々に「想定外」の事態が常に起こりうる現実を突きつけ、「ゼロリスク」が幻想であることを認識させる契機となった。同時に、危機的状況下におけるリスクコミュニケーションの難しさも浮き彫りになった。

 

事故直後、放射性物質の放出・拡散の懸念から、国は近隣住民に避難指示を出した。避難区域は、国際的な放射線量の基準値を参考に区切られた[1]。事故から15年が経とうとしている今も、自由な立ち入りが制限されている地域がある。

 

ただ、基準値よりも低い線量の放射線が人体に及ぼす影響については、専門家の間でも意見が分かれた。過去に同じ条件の実験を人体に対して実施したデータは存在せず、はっきりとしたことはわからなかったためだ。

 

「この土地に住むことは安全なのか」「この土地で育てた作物を口にしても危険はないのか」。

そうした地域住民の切実な問いかけに対して、専門家の間でも「安全派」「危険派」とで意見が割れた。結果として、将来生じうる人体への影響について「今ははっきりしたことはわからない」という状況の正確な意味を社会全体で共有できなかったという教訓が残った。

 

専門家であっても、まだ起きていないことを完全に予測することは困難だ。
企業や自治体などの組織、そして私たち一般市民は、日々様々なリスクにさらされている。起こりうる全てのリスクに対して、発生確率をゼロにする対策を打つのは費用・労力の面から現実的ではない。リスクを予測し、その影響度(重大性・発生時の緊急性等)や発生確率(発生ひっ迫度も含む)に鑑みて平時・有事の対策を決めていくのが現実的だ。

 

ところが重大なリスクほど、確実に起きないこと(ゼロリスク)が求められる傾向にある。ここに、リスクコミュニケーションの根本的な難しさがある。

2.かみ合わなさをどう解消するか:「わからない」ことも開示する

ひとたび環境汚染、食品安全、自然災害といった問題が起きると、パブリック・コメント、公聴会、住民説明会といった場で行政や企業からの情報発信が試みられる。

ところが、せっかくそうした場を設けても、科学的に正確な情報を発信したい発信側の視点と、ゼロリスクを求める受信側の期待が一致しないケースがある。

このような状況で信頼関係を築き、双方納得できる結果につなげるうえで大切なことは、情報の発信側が受け手側から発せられる不安や懸念の声を受け止め、わかっていないことは「わからない」と正直に開示することも含めて誠実に対応する姿勢を見せることだ。

特に専門的な知見が必要な分野に関しては、情報を発信する立場となる組織は、すでに分かっている事象のみを科学的に正確に説明することに意識が向きやすい。

 

一方で、主に情報の受信者となる市民・地域住民は、リスクがもたらす不確実性や将来への不安から、安全・安心を希求し、不安解消のための明確な答えを求めやすい傾向がある。

先行きが見えづらい状態では、誰もが不安や恐怖に駆られやすくなる。これは人間として自然な反応といえるだろう。

 

こうしたひずみがある状況で、発信側は受信側の不安に応えようとするあまり、現時点でははっきりとわからないことについても「安全です」と言いたくなってしまうかもしれない。

ただ、その根拠について問われたときに明確に答えられなかったり、専門家の間で意見が割れたりすると、市民から見ると「どっちつかず」に映り、意図に反して信頼を損ねてしまうことがある。「何かを隠しているのではないか」「それはつまり危険ということだろう」と捉えられ、かえって不安が増してしまいかねない。

 

だからといって科学の観点から「今わかっていること」のみを説明し、わからないことについてはきちんと答えずにいても、受信側の懸念は解消されない。

発信内容が科学的に正確であるということのみでは、情報の受け手側の正確な理解や納得に必ずしも結びつかないことに注意が必要だ。

 

わからないことは「わからない」と正直に明かし、そのうえでわからないなりに私たちが今できることや注意すべき点を助言すること、新たな知見を提供し続けることも、専門家としての誠実な態度といえる。

3.「わからない」ことに向き合う試み:「参加型」プロセスでともに作り上げる

「わからない」ことに、どう向き合うか。

ひとつのヒントとして、コミュニケーションの場の目的を、市民の疑問や不安に寄り添い、双方向の対話を通じて理解と信頼を得ることと位置付けた試みを2つ紹介する。

 

【東京都の例】
2020年に東京都は、自治体としては革新的な仕組みの新型コロナウイルス対策サイトを開設した。ソースコードがソフトウェア開発プラットフォーム上で公開され、誰でもサイト運営に関われるようになっていた。

情報が不足していれば補い、広く市民の声を吸い上げて随時アップデートしていく都の姿勢には注目が集まり、多くの人がこの取組みに参加した。台湾のデジタル担当大臣(当時)のオードリー・タン氏も参加したことがわかると、大きな話題になった[2]

こうしたオープンデータの取組みは、単に情報を公開するだけでなく「参加型」のプロセスを通じて市民の当事者意識を高め、行政への信頼を醸成する効果も生み出した。

【静岡市の例】

静岡市の化学工場周辺から発がん性が指摘される化合物PFAS(ピーファス)が検出されている問題を巡っては、2023年に静岡市、事業者、地域の自治会からなる「三者連絡会」が発足。情報発信にとどまらず地域住民からも意見を伝え、疑問を解消できる場が作られている[3][4]

 

このように「現時点ではわかっていないこと」「予測に頼らざるを得ないこと」も含めて情報を開示し、結論は情報の受け手とともに練り上げていく意識をもって場を設計することが、地道な信頼関係構築につながることもある。

リスクコミュニケーションで大切にしたいポイント

●情報の受け手側の不安やゼロリスクへの期待を真摯に受け止める

●「現時点ではわからないこと」も含めて情報を開示する

●結論は情報の受け手とともに、双方向の対話を通じて練り上げていく

震災やコロナ禍といった大災害を経て、いま日本各地でこうした双方向コミュニケーションの取組みが始まり、各地でよりよいコミュニケーションのありかたの模索が進んでいる。

 

当社でも平時や問題発生時のリスクコミュニケーションについてのご相談を受けることがあるが、ご依頼元の組織やその周囲の方の置かれた状況は千差万別であり、絶対的な正解といえる解決策を提示できるわけではない。

私たちも皆さまとともに、より多くの人にとって、科学的な安全、さらには安心や信頼の確保につながるコミュニケーションのありかたについて、引き続き考えたい。

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参考資料

[1] ふくしま復興情報ポータルサイト, 「避難区域の変遷について-解説-」, https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/cat01-more.html (2025-09-19閲覧)

[2] 朝日新聞GLOBE+, 「新型コロナの情報を「オープンデータ」で発信 開発の裏側を聞いた」, https://globe.asahi.com/article/13287481 (2025-09-19閲覧)

[3] 静岡市, 「PFASに係る三者連絡会」, https://www.city.shizuoka.lg.jp/s5382/s012237.html (2025-09-19閲覧)

[4] 三井・ケマーズ フロロプロダクツ株式会社, 「PFASに関する取組み」, https://www.mc-fluoro.co.jp/sustainability/responsible/pfas/ (2025-09-19閲覧)

天野 彩

GRCコンサルティング部
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主任コンサルタント

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